中村ヨシミツ ギター人生48年特別企画 ★ 『詩人・吉原幸子』を語り・唄う!(一部) ★ |
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★ かすかな嫉妬さえ感じてしまう 吉原幸子(詩人) 彼、ヨシミツさんとの出会いは、ある朗読会で、私の詩に即興ギターつき合っていただいたのが最初だった。朗読と音との “同時演奏”というのは、かなりむずかしいし、相手を選ぶ。一方が“伴奏”になってしまってはつまらないし、水と油でも また困るのだ。 ヨシミツさんとはそのあたり、初めから感覚的にピッタリ行った。ただひとつだけ注文をつけたのは、彼がとても控え目に 繊細に、私に気を使いながら弾いているような気がしたので、「もっとあなた自身を出して、あたしと闘ってみて」というよう なことを、その日に言ったらしい。彼はすぐそれをのみこんで、応えてくれた。 次にまた朗読会で会った時、たまたま、<日没>という短い詩を見せると、彼は「これ、作曲していいですか」と身を乗りだ し、その後約四年間、私の詩によるオリジナル曲ばかりを三十曲ほども作りつづけてくださったのだった。 それらの曲は<うた狂い>と名づけた何回かの公演で、彼のギターに高橋ていこさんの歌、私の構成や朗読という三人ジョイ ントの形で発表してきた。 しかし一方、演奏者としての彼は、自分の作ったものとはいえ、“歌の伴奏”や“朗読との共演”のみには飽き足らず、作曲 =演奏を直結したともいえる独立した即興演奏の場を求める気持ちが強まってきたらしい。<うた狂い>の演目の中でも、ギタ ー一本で歌われる曲には、たいてい彼がわざと音を決めていない箇所があって、やはりその都度違う演奏をしていたぐらいだか ら、彼は自分の音をオタマジャクシの中にすっかり閉じ込めてしまうことに、どこかで一種の抵抗感を持ちつづけていたのかも しれない。だいたい彼の楽譜はところどころ音譜なしで言葉だけで書き込んであったり、人がねそべっている絵が描いてあった りで、歌う側のていこさんもだいぶ苦労していたようなのだから・・・。 朗読には読み方の即興性を盛り込むことはできるけれど、私のように即興詩の書けないーその場で作ってその場で読む、とい うことの苦手なー無器用な人間には、完全な即興性など見果てぬ夢である。たぶん音楽というものは“意味”から開放されて、 より抽象的な、しかもより肉感的なジャンルであるために、ある無念無想というか、ものに憑かれたような状態に、言葉よりは 容易に入り込んでゆけるのだろう。 その一回限りの、流れ去る時間の輝き。男の強靭さと優しさをむき出しに、彼が自分の音の世界にまっしぐらに酔いにゆく時、 彼のそれこそ“呼吸や脈搏”に無防備に引き込まれつつも、その法悦にかすかな嫉妬さえ感じてしまうのは、言葉という因果な 世界に踏み迷ってしまった私だけの不幸なのだろうか。 (1993年 中村ヨシミツ30周年記念パンフレットより) ★ 吉原幸子のこと 会田綱雄(詩人) ジャンヌ・ダルクが、ある女優によって演じられるのを見たとき、ぼくは「ちがう、ちがう」と叫んでいた。あのオルレアンの 乙女をニッポンで演じきれるのは吉原幸子のほかないと、そのとき思い知らされたのである。彼女には、聖ジャンヌの、やさしく、 はげしいたましいがある。 そして、愛をかがやかせるためには、罰として焚きつくされるすがたをさえ見せたい、その宿命への祈願が、吉原幸子の詩の、 ことばのいのちなのである。 (1976年 「うた狂い 〜 詩・音・声のジョイント・リサイタル」パンフレットより) ★ 中村ヨシミツさん 阿木燿子(作詞家) すべての芸術の神髄は”間(ま)”にあると言っても良いと思うが、ヨシミツさんは絶妙な間の持ち主だ。究極的な言い方をす れば、ヨシミツさんのギターは、実際に聴こえてくる音だけではなく、間を奏でている。巧みな指使いの後に訪れる静寂。私の勝 手な思い込みかもしれないが、そこにこそヨシミツさんの魂の震えが、凝縮されている気がする。 ソロでギターを弾いている時も、歌い手のバックを務めている時も、変幻自在に間を操り、聴き手を翻弄する。 間は呼吸にも通じる。ヨシミツさんの呼吸は緩急自在だ。実際のヨシミツさんは少々せっかちだが、ステージではゆっくりとし た長い息と、短めな息を見事に使い分けている。だから聴き手は、時には寛いだ気分になり、また時には引き込まれ、心が揺さぶ られる。 ギターを弾き始めて45年と聞けば、ギタリストとしても、何と息の長いことか。でもヨシミツさんにとれば一瞬のことで、ひ とつの通過点に過ぎないに違いない。この先も50年、60年と現役を続行し、魂のギタリストとしてますます磨きをかけ、私達 の心を揺さぶり続けてほしい。 (2008年 中村ヨシミツ45周年記念パンフレットより) |
『うた狂い』に出演したゲスト 一言集 (うた狂い'78'79より採録 出演順) ★ 会田綱雄 さっきからきいてりゃていこさんばかり気持ちよさそうでさ、うらやましいよ。・・・ポルノ詩? 書きたいです ねぇ。・・・朗読のアンコール?それは四畳半で・・・('78.5.25) ★ 戸川昌子 何か祟りでね、首切ちゃったの。高い方の声、誰か出してくれない? 縫ったとこが破けちゃうのよ。百枚もの を七十五枚書いたところで切られたら、小説の主人公も頭がヘンになってきちゃったのよ・・・('78.5.26) ★ 山田奈々子 いつもは小さいうたっていうか、「月日」や「街」なんか好きなんですけど、今日はあとで踊らなくちゃならな いんでソワソワして、あんまり耳に入らなかったの。すみません。さっきも楽屋で、足上げてたら小道具こわしち ゃって・・・('78.5.26) ★ 谷山浩子 高校二年の時だったか、池袋パルコの屋上で吉原さんの朗読をきいて、ああスゴイなあと思って、詩は全然わか んなかったのに、帰りに本屋さんで詩集買ったんです。それが最初で・・・('78.5.27) ★ 谷川俊太郎 すばらしかったなあ。とてもポエティックでロマンティックでうっとりしちゃったーってのがわる口ね。ほめる ほうは時間がかかるんだけど、簡単にいうと、吉原さんの今まで知らなかった世界に気づいた、それはあなたの詩 のなかに演歌性がある、あり得るってこと。('78.5.28) ★ 宝田 明 自分の言葉が活字になり、その上こうして息吹きを与えてくれる人たちがいる。幸せですねぇ。・・・ぼくも男と して、パンよりもバラを食べていきたいなあ、獏じゃないけれど。男にとっても女にとっても、それがロマンなん ですよね。('78.5.29) ★ ヨネヤマママコ 楽屋できいていたけれど、こんないい歌にどうしてこれっぽちの拍手なんですか。何とかプロのレコードば っか売れてさ・・・じゃ、あたしも歌入りマイム行くわよ・・・二十年マイムやってて、一日稽古して歌うと歌ばっ かりほめられるんだから。('78.5.30) ★ 三上 寛 ていこさん今日はキレイですねえ。意外とぼくの好みなんですよ。サインと言わずにどうですか?・・・五年位前、 吉原さんに、歌い終わって笑いながら「どうも」っていうのがわからないって言われて、考えてみるとむずかしい 問題なんですよね。歌全体の問題なんだなあ。('78.5.31) ★ 草野心平 僕は自分に言い聞かせてるんだけど、歌は声だけで歌うもんじゃないよね。詩が言葉だけで書くもんじゃないの と同じことね。・・・今日はジョン・バエズやなんか覚えてきたんだけど、ビール飲んだら忘れちゃったよ。 ('79.5.28) ★ 上條恒彦 詩人がいて、音楽家がいて、歌手がいる。それがぜんぶ現場の中の現場なんですよね。でも、三倍じゃなくて、 やっぱりひとつですよ。結局、演者ひとりひとりと自分との関わり合いなんだなあ。('79.5.29) ★ 李 礼仙 変わったことやってるねェ。あなたの詩むずかしくて、わかんないのよ。「きっつあん」だけよくわかるけど。 ・・・ずっと前、舞台でハイヒールの踵がとれちゃって、直して出てきたら、科白パッと忘れちゃったのよね。そん で、三回も同じとこ繰り返してたんだけど、お客さんだってバカじゃないからね、バレちゃうじゃない?・・・ ('78.5.30) ★ 小海智子 なんかね、コリーダのあとじゃフラフラしちゃってね、もう「ミラボー橋」なんか歌えないわ。ていこさんの 歌唱力はすばらしいですよ。・・・十五年前はよくいっしょに飲んだけど、幸子さんのえらいとこは今でも飲んでる ことね。('79.5.31) ★ 白石かずこ 実をいううと、彼女の中にローソクのような火が燃えていて、あたしがフォールインラブするような要素をもっ てて、キケンだから近寄らないんです。今までの恋びと? 片手がマイクでふさがってるので五人以上数えられな いけど・・・ ”忘れた”わ。('79.6.1) ★ 吉増剛造 かなりこう・・・濃密で・・・異様な感じで・・・。ぼくの朗読につけてもらった音? 新鮮でした。やっぱり男同士・・・ 中村さんの足の下あたりに穴があって、あそこへもぐり込みたかった・・・近くへ行くでしょ、そうすると音が包み こんでくるっていうか・・・ 音のかたちが変わってくるでしょ・・・('79.6.2) ★ 岸田今日子 こういう小さいところでじかにやるのがいちばん好き。悪女役が多いけれど、もうどうにでもなれと思って演る のがかえっていいんでしょうね。でもどっかでこう、悪女になりたいって感じもあるんですね。二重人格? ええ、 そうだといいんだけど。('79.6.3) |
★ 独自の道を確固たる足どりで 石井 好子 (歌手) 詩人の吉原幸子さんにさそわれて「うた狂い」のコンサートに行った。そこで初めて中村ヨシミツさんの曲をきき、ギターをき いた。 次の「うた狂い」の会に出演してほしいとたのまれたとき、私は「うらみうた」を歌った。本当は「日没」を歌いたかったのだ けど、急だったので間にあわなかった。中村さんの作曲は数多いが、私は「日没」と「祈り」が好きで、カセットテープにとって、 寝る前に毎晩きいていた時期がある。 その耐えられない程のすみきった悲しみが、心をとらえてはなさなかった。中村さんと吉原さんのコンビも、「日没」から始ま ったときいて、うなずけるものがある。 ギタリストとしても個性的な演奏者としてみとめられている方である。彼の才能が世の人々に広くみとめられる事を祈っている。 しかしその反面、あまりみとめられすぎないで、彼独特の道で確固たる足どりで、歩んでいってほしいような気もしている。 (1993年 中村ヨシミツ30周年記念パンフレットより) ★ 古武士のような表情の裏側には 岸田今日子 (女優) 中村ヨシミツさんとはじめてお逢いしたのは、中村さんが吉原幸子さんたちと組んで開いていらっしゃった、「うた狂い」のコ ンサートでした。 そこでわたしも吉原さんの詩を読んだのですけれど、まったくリハーサルなしのぶっつけ本番で、だから、「はじめまして」と いうよりも早く、ご一緒に舞台に立ったという感じでした。 そして詩を読みながら、ギターの音が確実な手ごたえで言葉と呼応するのを感じていました。 そのコンサートのすぐ後に、ロルカの「イエルマ」を上演することになって、中村さんには作曲ばかりか、舞台での生演奏もお 願いすることになりました。 おまけに、わたしも舞台で歌わなけばならないので、少し声を出す練習まで、つきあっていただいたのでした。 中村さんは、その全部を、誠実に、心をこめて創りあげて下さいました。 中村さんを見ていると、はかまを穿いて、お茶を点てたりしたら、どんなに似合うだろうと思います。ギターもいいけど、琵琶 や尺八もいいだろうと思います。 暖かさやユーモア、激しさが、古武士のような表情の裏側にかくれている所が、中村さんとそのギターの魅力ではないかしら。 (1993年 中村ヨシミツ30周年記念パンフレットより) |